今更ながら観ました。
遂に観た「セッション」
ララランド割と早く観たんですけどね。
なんとなくのイメージからただただスパルタのバンマスに怯える設定かと思いきや主人公も中々狂っていて、ドラムの為に彼女を振ったり、手が血だらけになるまでドラムを叩いたりするんですよね。
そこら辺でスポ根ものなんだなと腑に落ちたわけです。
菊池さんは主人公に対して「ただ早く叩けば良いと思っている。」と指摘してました。
確かにただただ叩きまくる早技に自分も魅力を感じた訳ではないですが、全くリテラシーが無い人に説得力を持たせる為には「速さ」しか無いのかな?とも思いました。
例えば主人公がギタリストだとしても説得力有るのは早弾きかなと。
ビブラートを利かせた間のあるソロでは知らない人には説得力が無いですよね。
ただラジオを通してスパルタとは真逆のスタンスである菊地さんからしたらこの映画が許せなかったのでしょう。
勿論他の様々な部分含め。
やはり芸術を題材にするのはとても難しい。
これが漫画でも映画製作でも演劇でも同じような摩擦が起き得たと言えるでしょう。
芸術をエンターテイメントへと昇華する際に高確率で起こり得る事態だと思います。
これがスポーツなんかだと割と許容されるんですけどね。
とつらつら書きましたが、寸前まで主人公を恨んでいたフレッチャーが最後のドラミングで心を許し2人が一つになったという描写にはそれなりのカタルシスが有ったのは確かですし、はやり映画全体の世界観は引き込まれるものが有りました。
ただただ菊地さんのファンとしては変な意味での事前情報の多さと、バイアスがかかりすぎた不思議な映画体験でした。
人の映画批評を聴くのは楽しいんですが、まず初見時にはまっさらで観るのがやっぱりいいかな?と思わされる作品でした。